私、穴見陽一の歩いてきた43年間。
ほんの少しだけご紹介します。
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佐伯市内に生まれる。

私は昭和44年7月24日に佐伯市内の病院で生まれました。生まれた時から巨大児で、4700g!1歳下の弟をいつも心配してかわいがる優しい子供だったそうです。両親が深夜営業の焼き肉店を営んでいたので、幼いころから保育園に預けられていましたが、「大きい人は弱い人を守らなくちゃいけない」と思い込んでいた私は、同級生をいじめる上級生にかかっていって、ボコボコにやられることもありました。また学校が休みに入ると、佐伯市直川村の母の実家に預けられ、小川や野山でいつまでも遊んでいました。

柔道を始める。のちに県代表をつとめるまでに成長する。

小学3年生の頃、佐伯からやっていた水泳を練習するために通っていた大分スポーツセンターで、体の大きさを見込まれて柔道にスカウトされました。 遊天館道場に入塾した僕は、「練習の穴見」と言われました。不器用な僕は、ただひたすら練習するしか知りませんでしたが、その甲斐あって大分県代表として、4年生の時に先鋒、6年生の時大将で、全国大会に出場させてもらいました。

小学校に入ってから続けてきたマラソンも6年になる頃には毎朝5キロになっていた。

小学校に入学すると、父から毎朝走らされました。雨の日は走らなくてすんだので、いつも「雨が降らないかなぁ」と願っていました。結局小学校の6年間毎朝何キロか走ってから学校に通いました。6年生の頃には毎朝5キロ走っていました。中学生になると新聞配達を始め、毎朝1時間、高校受験の当日も走り続けました。高校に入ると柔道部に入部して、自主トレで毎日9キロ走っていました。とうとう12年間近く毎日走り続けることで、足腰を鍛えただけでなく、忍耐強さを鍛えてくれたと思います。

教育とはなにか、どう生きるべきかを考え続けた。

教育を受ける立場でいろんな矛盾や理不尽を子供心に感じていました。いま思えば、小さなことばかりですが、それがきっかけでずっと、「教育とは何か」を自問自答し、独学をつづけました。特になぜ学校では、宗教や哲学や倫理、道徳など人間性や世界観に関する教育が行われないのかが、小学校の頃から不思議でした。私は父方の祖父が真言宗の修行僧でしたが、父も母も無宗教でしたので、家庭環境からくる疑問ではありませんでしたが、とても大事なものが学校教育の中から欠落しているのでは、と思い、誰に相談するわけでもなく、百科事典や、仏教、キリスト教、ギリシャ哲学、インド哲学、宇宙物理学、世界史などを、独り勉強するようになりました。そして、人間とは何か、世界とは何か、自分はどう生きるべきかを考え続けました。その中から政治への意識が高まっていきました。

大学入試、しかし大学での学問に違和感を持ち始める。

大学でも、政治や哲学の勉強がやりたいと願っていましたが、商売人の両親の意向は、ちゃんと御飯が食べられる勉強をせよということでした。僕は東京で1年間の浪人生活を送りましたが、どうしても都会の生活に落ち着かず、東京の外れの田舎にある大学に行くことにしました。山あり、谷川あり、湖ありと、とても気持ちのいい環境でした。しかし当時、ソ連崩壊前夜で、まだマルクス経済学を教えていた大学に違和感を覚え、論文や試験も教授の思想批判めいたことを書いてしまうような不器用な有様で、独学と人助けばかりに明け暮れて単位が取れませんでした。大学を偏差値だけで判断する愚を、身をもって感じました。それと、大学は一回社会に出てから入った方がいいとも思いました。世の中を知らない身では、大学の高度な学問は、実感を伴わない思考ゲームにしかならないように感じました。僕は実感のわかないものを、わかったつもりにはなれませんでした。



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