私、穴見陽一の歩いてきた43年間。
ほんの少しだけご紹介します。
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株式会社ジョイフル入社。

24歳。私にも野心はありましたが、世話になった両親に親孝行をせずにはいられない思いから、野心をすべて捨てて父の会社であるジョイフルに入社しました。向いているとは思いませんでしたが、とにかく一生懸命やっている姿を両親に見てもらえればいいと思い、何にでも一生懸命取り組みました。もちろん最初は皿洗いからです。ウエイターをやり、コックをやり、やっと店長になれるという時に、アメリカに行かされました。

アメリカへ研修。すべてが新しい刺激だった。

コロラド州のデンバーの大学でしばらく語学研修をした後、カンザス州の牛肉工場や、カリフォルニア州の商社で研修しました。しかし、いちばん刺激を受けたのは、アメリカという国そのものでした。人種差別、銃社会(住んでいたアパートで殺人事件がありました)、チャレンジ精神、自己責任社会、厳しい自然、合理社会、広大な国土、都会に行ったこともない農地に生きる人々、おおらかさ、宗教心など、すべてが新しい良い刺激でした。たくさんの友人ができ、多くを学びました。

27歳、人生の大きな転機。

私の27歳は人生の大きな転機でした。結婚をし、縁もゆかりもない岡山県に移住し、独立して会社を興し、初めての子供が出来ました。とにかく何もかもが大変でした。会社に人が集まらない。娘の夜泣きをあやす。深夜の急患に走る。女房と大喧嘩する。1号店の開店間際に倒れる。すべてが新しく経験することばかりで、どうしていいのかも考える余裕もなく、ただがむしゃらに駆け抜けました。

中国ジョイフルの成功と父からのバトンタッチ。

33歳になっていました。娘とともに生まれた中国ジョイフル(岡山県倉敷市)という会社も何とか順調に成長を続け、年商40億に達しようとしていました。株式上場準備をすすめるうちにメニュー政策によって大幅な売上増となり、それを契機にグループ本社の父と経営を交代することになりました。父は反対しました。いや、ずっと「息子に後は継がさない」と公言し続けていました。父としては、自分の苦しんで生きてきた道を息子に味あわせたくないという優しい親心でした。しかし私は、父の事業をこれからもずっと残していける事業に育てていきたかったのです。

新しい時代を生き抜ける会社への変革。

一軒の小さな深夜営業の焼肉屋から次第に大企業となったジョイフルは、時代の移り変わりや規模拡大によって、社会から期待されるものが大きく変わってきており、また、より競争は厳しくなっていました。これからの時代を生き抜くために、競争力とコンプライアンスの強化を図らなければならないという強い使命感を持って改革を断行しました。様々に反対する方々も出ました。改革は、結果を出さなければただの大混乱でしかありません。「10年の遅れを3年で取り戻す!」をスローガンにしました。しかし大きな骨組は仕上がったものの、まだ十分な成果を出せていません。いま、大手の外食も次々に倒れたり、吸収されたりしています。歴史に「もしも」はありません。もし、あの時改革をしていなかったらどうなっていたかは誰に示すこともできません。「生き残り続ける」という事実の歴史を積み重ねるしか、改革の正当性を証明する手だてはないと思います。

中同族会社からの脱皮。

「息子には絶対に継がさない」という言葉を公言し続けていた父の思いは、同族経営からの脱却を意図していたと私は考えてきました。だから私は、同族経営をやめて、広く世間から、そして社内の人材から経営者を求め、育てることを目指しました。私は実はジョイフルの新卒1期生と同期です。だから社内人材の先頭集団でも30代後半です。これではまだ経営を任せられる人材はすぐには生まれてきません。彼らを育て、それまでの間、会社を支えてゆける人材が必要でした。その人材の目途が立った時、私の役割が終わりに近づいていることを感じました。私がそうであったように、立場が人を育てると思いました。人材を待たせず、早く経験をしてもらいたいと考えました。

政治家への挑戦。

40代前半で、引退すべきだと考えました。引退するには早すぎる年齢です。この年ならまだ、新しいことに挑戦ができると思い、引退後どのように生きていくべきかを考え始めました。その時に、幼いころからの思いであった、政治家への挑戦を思い立ちました。私は、人材を育てるためには、挑戦できる環境をつくることが大切だと考えてきました。ひとりひとりが抑えつけられず、その潜在能力を伸ばしてゆくことができる環境こそが、人を育てると思ってきました。だから私は政治家になって、多くの人たちが不当に抑圧されず、のびのびと自由に人生の幸福を追求できる環境作りに貢献したいと決意したのです。

神よ、感謝します。

私には、妻と3人の子供がいます。彼らは私にこの世で一番素晴らしいものを教えてもらいました。それは愛です。私は家族のことを考えると喜びと感謝でいっぱいになります。いつも家族の写真を財布に忍ばせています。妻には本当に言い尽くせない苦労をかけ、それに耐え抜いてもらいました。申し訳なさで、ただはらはらと涙が止まらないことが何度もありました。それでもいつも私を愛し続けてくれている。ありがとう、ありがとう。
子どもたちも、こんな出来の悪い父親をいつも思いやってくれて、いつも助けてくれて、ありがとう、ありがとう。父さん、私を鍛えてくれ、私にあらゆるチャンスを与えてくれた。母さん、私を守り、私のあらゆる失敗を許してくれた。ありがとうございます、ありがとうございます。家族と共に居ることは、この上ない幸せです。家族は宝であり、誇りです。家族と共に居ると、神様が愛してくださっていることを思い出します。私は、この幸せをすべての人に味わって欲しい。すべての人に幸せになって欲しい。

自民党の公募指名から今日まで。

政治の世界に足を踏み入れて、私は自分のあまりの無知と未熟に愕然としました。この小さく見える大分の中に、これほど広く深い人々の暮らしが、心の世界が、広がっていることを毎日思い知らされています。自分自身の未熟さに何度も何度も打ちのめされました。私はできるだけ多くの人たちの心につながっていきたいと願っています。そのためには私は知らなければいけない。多くの人に支えられ、許されてきたことを。多くの人たちに愛されてきたことを。すべての人たちは、本当は家族なんだということを。それを知った時にはじめて、私は政治家になる資格があると思いました。
まだ道半ばです。でも、こんな素晴らしい課題を与えてくれたこの道に入ることができたことを、心から感謝しています。



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